曜変天目茶碗とは約800年前の宋時代の中国の建窯で焼かれた黒釉茶碗のことです。
その茶碗はとても美しく、光り輝く斑紋と光彩が特徴です。
しかしながら、この南宋時代に作られた曜変天目は世界でも3つしかなく、その全てを日本が所有しているとても珍しいものとなっています。
その内3碗は国宝と認定されており、東京の静嘉堂文庫美術館、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵しております。
曜変天目といえばこの3碗を指すことが多いですが、重要文化財と認定されている1碗はMIHO MUSIUMが所蔵しているものも含めて4碗とすることもあります。
※MIHO MUSIUMのものは”耀変天目”の漢字を使用
目次
現在、何をもって曜変天目と定義されているか
国宝の曜変天目の3碗は似ているような、似ていないような。
この3つを”同じ”と感じる人もいれば”全然違う”と感じる人もいるであろうという、意外にも見た目は全然違うのです。
しかし、言葉にするとこの3つには共通項があり、それをもって国宝の3点は曜変天目としているといえます。
1.宋時代の中国の建窯で焼かれた黒釉茶碗
2.碗の内部には釉薬が破裂したことでできる斑紋(星文)がある
3.斑紋の周りに青や紫の光彩がでている
現存する曜変天目の共通項は以上の3つと学術上はされており、これをもって曜変天目とすることが一般的である。
その点からするとこのサイトの天目はこれには当たらないが、あくまで見つかっている曜変天目の共通項目であり、君台観左右帳記によると「錦の様な薬もあり(縦糸と横糸編んで作られた織物の様な釉薬もあり)」があるともされています。
このサイトに掲載している曜変天目は見つかっていない別の種類のものである可能性があるのです。
天目とは
天目という言葉は曜変天目だけに使われている言葉ではありません。
「禾目天目」「油滴天目」の他、日本製の「白天目」など、他の茶碗でも使われています。
天目山にに留学していた日本人僧が使用していた茶碗を「天目」と呼んだことが由来で、それを持ち帰ったことから中国産の茶碗を差してそう呼ぶようになりました。
鎌倉から室町時代にかけて、武家や貴族たちは中国(唐)からの美術工芸品を収集、愛玩していました。「唐物」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。
特に室町幕府8代将軍足利義政はこの唐物の収集い力をいれており、その中で天目茶碗があったことから、格別な茶碗と認識されるようになりました。
天目茶碗の中でも曜変天目は、黒釉の表面に斑紋が散り、それが宝石や宇宙に舞い散る星のような煌びやかな光彩であったことから、焼き物で使われていた「窯変」という単語に「曜」という輝きの意味を持つ言葉を当てて「曜変」という呼ぶようになりました。
当時の日本では自然釉などの素朴な焼き物が主流だったので、曜変天目のような輝きを持った焼き物はとても美しかったのだと思われます。
曜変天目は偶然なのか必然なのか
ではこれほどまでに数が少ないのは一体なぜなのか。
日本に4つしかないばかりか中国には完全なものは1つもない。
簡単に焼けるものでなく、陶工の技術の他にも偶然が重なってできたものではないのかとも考えられる。
確かに斑紋は釉薬が焼成の段階で熱せられ、できた気泡が破裂したことでできるものです。線状紋も同じで焼成時に釉薬が流れたことによってできるものです。
窯の中の状態は目視できるものではなく、また当時の窯はその日の気候などの左右されたため、気泡や破裂、釉薬の流れのコントロールは偶然の要素は拭いきれない。
しかし、運任せで作っているということは考えられないので、見えないながらも釉薬のコントロールを追及をしていってできあがったものであろうとも考えられます。
陶工たちが高い技術を追求していき、偶然の確率を上げていった中で、美しい斑紋が出たものが最高の曜変天目とされたのではないだろうか。