この茶碗は一度違う人の手に渡ったが、その際には科学的根拠もない鑑定をされ、価値のないものとされ日の目を浴びることはありませんでした。
その後、今から25年ほど前に、数ある一つの茶碗として私の手に渡りましたが、実はその時は「伝世ものの茶碗が一つ欲しいな」くらいにしか思っていませんでした。
手に入れてすぐ、「これは曜変天目かもしれない」と思ったわけではありません。
これが曜変天目である可能性を考える様になったのは、とあるテレビがきっかけでした。
私自身は陶磁器を中心に多くの古美術の収集と研究をしていますが、当時の私は曜変天目にはさほど興味を示してなく、曜変天目といえば静嘉堂文庫所蔵のような模様のものとばかり思っていました。
しかし、そのテレビで「曜変天目は禾目の模様のものもある」ということを知り、自身の所有していたこの茶碗を思い出し、約20年ぶりに改めて鑑定をしてみることとしました。
それから、日本と宋の時代の文献の検証、そして釉薬や土の成分を蛍光X線検査で分析し、拡大顕微鏡を使い、様々な分野の研究者の意見を参考にして、まずは宋の時代の天目であると推定をしました。
そして、出土の場所や文献の内容から織田信長の曜変天目であった可能性もあると推定をしました。
しかしながら誰も見たことがない「信長の曜変天目」をだれも鑑定ができるわけではないのも事実であり、これを決めつけることはできず情報がもっと欲しいとも思っていました。
このサイトを開設する前に、知人のホームページに特別に掲載をさせていただました。
その反響は思っていた何倍も大きく、美術品の愛好家から見たいというオファー、批判の声、はたまた中国から購入したいという連絡など、様々いただきました。
それをきっかけにもっと専門的にインターネット上に公開をすることで、この茶碗の真実に近づけることができると思い、この度このようなサイトを作ることを決心した次第です。
開設から三年が経ち、その間にも様々な研究、見解と照らし合わせた結果、当品は曜変天目であり、最高峰の毫変盞であると結論をづけました。
ホームページには茶碗の写真やその研究結果などを公開をいたします。
どうぞこの茶碗を皆様の目に焼き付けていただければと存じます。