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陶器と磁器
元々は素焼きの土器から始まり、用途により技術が発達し釉薬を使って光沢を出すようになったのが陶磁器です。
粘土を使い素地に釉薬をかけて焼く物を陶器、陶石を使い、素地をさらに高熱で焼き釉薬も純白透明性のあるものを磁器と言います。
唐の時代には唐三彩が多く作られており、器や人物、動物などの形を模したものを作っており、主に葬儀で使用されておりました。
その後、白磁・青磁など磁器の技術も進みます。
※唐物という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、これは唐の時代の焼き物という意味ではありません。中世から近世のもの、むしろ宋の時代以降のものを指します。
宋の陶磁器を知る
宋は中国の陶磁器の歴史の中で、もっとも変化に富んだ盛んな時代と言われています。
唐物の白磁・青磁をがさらに洗礼され、壺や花瓶だけでなく、飲茶用の茶碗や食器用の皿などに広がりました。
江西省の景徳鎮を中心に陶磁器が生産されるようになり、窯業が盛んになります。
茶の流行も相まって中国の陶磁器の全盛期となりました。
この時代の陶磁器を総称して宋磁と言われています。
宋代の陶磁器は日本や朝鮮などの周辺諸国にも渡り、大変好評を得ました。
白磁・青磁の他に、主に飲茶用として黒釉の碗ががあり、これを「建盞(けんさん)」と言いました。
この黒釉の茶碗=建盞が曜変天目などの天目茶碗なのです。
実用品としての歴史が一番古い中国の陶磁器が宋のものとなります。
天目茶碗はどこで作られたものか
その名前の由来は中国の天目山の禅宗寺院に留学していた日本僧が使用していた喫茶用の碗をそう呼んだことに由来します。
天目山で作られたというわけではありません。
天目茶碗という名前は主に中国の宋の時代に作られた一般的な喫茶用の茶碗を差します。
そのため、天目は様々なところで作られたと言ってもいいでしょう。
北宋の頃には「景徳鎮」が中国の陶磁器の名産地として知られております。
宋代の1004年に官窯が始まり、良質な土と窯の燃料となる松が豊富であったことから、陶産業が栄えました。
南宋の頃には、「建窯(けんよう)」が有名になっていきます。
福建省建陽県水吉鎮の付近にあった窯であり、宋代に喫茶の流行に伴って発達した陶窯でした。
曜変天目、油滴茶碗、禾目茶碗などの建盞(黒釉の天目)の名品が産まれた場所とされています。