このサイトの茶碗は毫変盞なのか第4の曜変天目なのか、はたまた偽物なのか。
だれも見たことのない茶碗を、すぐに何かに決めつけることはとても難しいかもしれない。
しかし、それを真実に近づけるため、研究すべきは茶碗に出ている模様である。
目次
文献による曜変天目と毫変盞
日本にある中国美術鑑賞の書の『君台観左右帳記』には次のような文章が登場します。
「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのやうなるくすりもあり。萬疋の物也。」
これは「曜变天目は、建盏の中の極上でこの世にない珍しい物です。地色は真黒で、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色の星が、沢山散らばる。又、これとは別に、黄色、白色、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色など、様々な色が交じり、錦の様な釉の物もある。萬疋の値打ちがある。」という意味なります。
この文章からわかるように、曜变天目は2種類の模様のものがあったとされています。
1.黒い色の茶盏に瑠璃色や薄い瑠璃色も星のような模様
これはおそらく日本の国宝の曜変天目3点のことであると考えます。
斑紋や光彩のことを星のようと例えたのでしょう。
曜変天目は「手のひらの宇宙」と喩えることもあるぐらいです。
2.黄色、白色、濃い瑠璃色、臼い瑠璃色が混ざった錦のような模様
錦という言葉は、「縦糸と横糸で模様を織りなした織物」と「美しいものを例える」という意味がありますが、錦の”様”という言葉の使い方から、様子そのものを指していたと考えます。
そうなると、国宝3点は禾目が出ているが、錦の様に織りなし他模様はなく当てはめることには無理があります。
錦の様に縦横に釉薬が流れた禾目の模様の曜変天目があったとしてもおかしくありません。
次に、中国の文献『方輿勝覧』には次の一文があります。「“兔毫盏,出鸥宁之水吉。…兔毫然毫色异者,土人谓之 毫变盏 ,其价甚高,且艰得之。 ”」
この中には「その模様は兔毫でありながら異なった毫色である」というように書かれています。
他にも『大宋宣和遗事』には次の様な一文があります。「”执事者以宝器进,徽宗酌酒以赐,命皇子嘉王楷宣劝。又以惠山泉、建溪”异毫盏”,烹新贡太平嘉瑞茶,赐蔡京饮之。」
この中で「异毫盏」という言葉が出てきており、宋の皇帝がお茶を振る舞うために使用してたと書かれています。
异毫盏は「異なる兔毫の盞」という意味であり、毫変盞と同じです。
兎毫盞は日本では禾目天目と呼び、同じものを指しています。
中国の文献における「兔毫でありながら異なった模様」と日本の文献における「縦横に流れる禾目天目」が同じなのであれば、毫変盞ともう一つの曜変天目は同じものである可能性があるのです。
模様の詳しい様子を模倣品と比較
新たな茶碗を公開していると悔しいのは、このような雲のような模様の天目をぱっと見で偽物扱いをされてしまうことです。
とあるテレビ番組でよくない話題になってしまったことや実際に複製品、模倣品が存在することから、その印象で語られてしまします。
しかし、これらの意見もわかるので、実際に模倣品を購入し比較をいたしました。
まず、結果から申し上げると模倣品とは違ったものであると断言ができます。
むしろ、これらの模倣品の元となっていた、今まで見つけられなかった本物が発見された可能性の方がございます。
一見は兔毫に見えない模様をしていますが、実は窯変現象で釉が流れたことでできた禾目(兎毫)であることがわかります。
模様を電子顕微鏡やデジタル一眼レフの接写で撮影してみると、釉の内側から立体的に現れていることが明らかです。
しかし立体的と言っても、触っても分からない程度のものであり、上に釉薬を載せている感じはありません。

毫変盞の模様の一つの塊
流れた釉薬がかなり細かく、その細さは小さいもので0.1mm程度のものもあり、筆でこれだけのものを描くことは現実的でありません。
そして、青い兔毫の模様は単色ではなく模様の周りには黄色や白の鉄の玉のような結晶が集まり様々な色を出しています。
これは分相により成分が分かれたものであり、一度掛けで施釉したものであると考えられます。
また、このように強く光を当てないと発色しないことも曜変天目の特徴と似ています。

鉄の粒がわかる接写写真(等倍より大きく撮影)
また、模様の配置も静嘉堂文庫の曜変天目に近く、釉薬の流れが変わりやすい内側のくぼみの位置に合わせて出ていること、そしてそれぞれの模様の細かさ、長さ、模様と模様の間隔も近いものがあります。
茶溜まりあたりが小さく密集しており、口縁部にいくほど大きくなるが模様の塊の間隔が離れていきます。

毫変盞の模様の配置
中国の模倣品の研究
中国で模倣品を購入したので同じように拡大をして見てみました。
購入したうちの一つはある程度かせがでており、古い時代、おそらく明くらいの模倣品で、もう1つは現代のものです。
同じくらいの距離で撮影をした比較写真があるのでご覧下さい。

購入した模倣品
まず、一つ目は明時代と思われるものです。

明時代くらいの模倣品
これは一見、きれいに見えますが、明らかに線が太く短く、単色であり、結晶が出ていません。
また、それぞれの模様の大きさが不自然なくらい一緒で丸く、模様の位置も不自然なくらい均一に出ており、意図して書いたものであると考えます。

現代の曜変天目のコピー品1
2つ目は現代のもので、線自体は細く横に流れているように見えますが立体感がなく、また分相による結晶もなく、はっきりとしています。
これは筆で書いたものか、インクを乗せて意図的に流したものとなります。
色として朱色、水色、黄色の3色がここまではっきりと同時に出現するのは鉄釉としては不自然であり、釉薬でなく絵付けの顔料であると考えます。
また、光を当てなくても自ら強く発色してます。
3つ目も現代によるもので、一見模様は縦横に流れているように見えるのですが、拡大してみるとその流れ方は不自然です。

現代の曜変天目のコピー品2
色自体は水色、朱色、黄色の3色があるのですが、その色が混ざり合うところが渦巻いている滲んでいるような汚い混ざり方をしています。
水彩絵の具で乾いていないのに他の色で描いてしまったみたいな感じに混ざっています。
水色の箇所は周りに黄色が出ていて分相と勘違いしそうですが、これは黄色で描いた上に水色を載せているものです。
そもそも鉄釉がこんなにはっきりと3色に分かれることは考えにくいです。
模様も指で触ってもはっきりと凸凹感を感じます。
こちらも、光を当てなくても自ら強く発色してます。
ちなみに現代物2つはとても光沢があり、最近製作されたものと思われます。
唯一無二の本物である
以上のように、当サイトの天目茶碗は模倣品やコピー品といった、意図して作られた偽物とは明らかにちがい、精巧に作られています。
悪い意味での模倣品のようなものではありません。
そもそも、模倣品は、何を模倣して作っているのだろうかという疑問が残ります。
現代で見た人はいない、どこにも存在しない茶碗のコピー品が存在すると言うのは矛盾をした話なのです。
そこで私は、現代の模倣品は、模倣品の模倣品であると私は考えました。
一つ目に紹介した模倣品はかせ方や土の種類から現代のものより古く、おそらく明時代くらいのものと考えられています。
その時代くらいまでは毫変盞が現物か図か何かで残っており、それを模して作られたのだと思います。
特に明時代では青花磁器が主流であり、コバルトを用いた絵付けの陶磁器の技術が発展しました。
その時代の1番の技術を用いて再現を試みるのは自然で、そう考えると手描きの天目茶碗が誕生するのも納得がいきます。
そしてその1つ目のように作られた模倣品が現代まで残っており、それを作家が真似て作っているのが現代の模倣品と考えます。
要するに
「本物」→模倣→「明の模倣品」→模倣→「現代の模倣品」
と考えると、誰も見たことがないはずのに現代でなんとなく再現されているのも辻褄が合います。
そしてこれがそのコピーとなった大元の唯一無二の茶碗であるのであれば、それはとても素敵な話です。
ほら、このサイトの茶碗を900年かけてコピーして行ったら、現代のコピー品みたいになると思いませんか?