宋の時代に焼かれた黒釉の陶磁器は碗が多く、「建盞」と呼ばれています。
黒釉の陶磁器自体は宋より前の後漢の時代から作られていましたが、日用品として利用されていたため、特に目立ったものではありませんでした。
しかし、宋代から喫茶(抹茶)が流行し、特にこの時期のお茶は白いことが高級とされたため、その色を引き立てることから黒釉の茶碗への関心が高まります。
そのため宋代の建盞は黒釉が多いわけです。
※各美術館、博物館所蔵の茶碗につきましては写真の利用ができないため、リンクからご覧ください
目次
宋の時代の茶碗は大量生産品
黒釉の茶碗の関心が高まったとはいえ、あくまで元々は日用品となります。
製作は轆轤(ろくろ)と言われる回転する台で成形し、釉薬も浸し掛けで付けていました。
焼成時には匣鉢(さや)に入れ、積み重ねることで大量に焼成を可能とし、大きい窯では一度に一万個以上を同時に焼いていたとも言われています。
曜変天目や油滴天目、禾目天目などの特別な名前がついているものは、その中で特別な焼き方をし、成功した茶碗になります。
天目茶碗の種類
日本に伝わっている天目の種類でよく耳にするものとしては「禾目天目」「油滴天目」「曜変天目」が有名です。
この3点はおおまかには同じ作り方でできており、黒釉(鉄釉)を浸し掛けにて一度施釉し、焼成されています。
それが、窯の中の窯変現象でどのような模様になるかで、区別されています。
※窯変現象・・・窯の中で予期せぬ変化が起こり模様などができること。コントロールが難しい。
その他にも中国の天目には「玳玻天目(たいひてんもく)」「木葉天目(このはてんもく)」「灰被天目(はいかつぎてんもく)」などがありますが、これらは釉薬を2度がけするなど作り方が根本的に違うのでこのページでは省かせていただきます。
禾目天目(のぎめてんもく)
釉薬中の結晶が焼成時に流下し、黒色の釉の中に細い線条の模様が浮かび上がり、それが稲の「芒=禾(のぎ)」のようであることから、禾目天目と呼ばれています。
中国では兎の細くしなやかな毛にたとえ「兎毫盞(とごうさん)」と呼ばれています。
この線状の模様の色は灰白色、灰褐色、黄褐色、青藍色、青灰色など様々なものがあります。
主な禾目天目の紹介
・陶磁オンライン美術館。禾目天目
>リンク:陶磁オンライン美術館「禾目天目」
・京都国立博物館蔵。灰色系統であり、輝くと銀色に見える禾目天目
>リンク:京都国立博物館「黒釉兎毫斑碗(禾目天目) 建窯G甲221」
・京都国立博物館蔵。細いものだけでなく、太い模様もある、黄褐色に近い色の禾目天目
>リンク:京都国立博物館「黒釉兎毫斑碗(禾目天目) 建窯」G甲238
・国立博物館所蔵。青から灰色系統の色の涼しげで洗練された印象の禾目天目
>リンク:国立博物館「禾目天目TG-2496」
禾目天目は窯変の中で最も多く見られ、日本や中国にも多く現存しており、伝世品も多くございます。
そのためか、禾目天目は重要文化財や国宝に指定されているものはございませんが、シンプルで美しく、お茶を飲むのにもクセのない茶碗となります。
油滴天目(ゆてきてんもく)
茶碗の内外全面に黒釉の中に小さく丸いの斑点が現れたものを、水面に浮かぶ油の滴に似ていることから、油滴天目と呼ばれています。
現在は中国でも「油滴」と呼びますが、この言葉は日本から逆輸入された言葉で、宋の時代では鷓鴣斑(しゃこはん)の一部とされていました。
斑紋は釉薬に含まれる酸化第二鉄が焼成中に気泡とともに浮かび、気泡が破裂した跡に結晶が集まるため、銀、金、青色の丸い斑紋となるのです。
主な油滴天目の紹介
・陶磁オンライン美術館。銀色に模様が輝く油滴天目
>リンク:陶磁オンライン美術館「油滴天目」
・陶磁オンライン美術館。磁州窯系の油滴天目
>リンク:陶磁オンライン美術館「油滴天目」
・東洋陶磁美術館蔵。『君台観左右帳記』にて第二の重寶と記される、国宝の油滴天目
>リンク:大阪市立東洋陶磁美術館「油滴天目 茶碗」
・九州国立博物館。蔵青色の油滴斑が高台まで流れた美しい、重要文化財の油滴天目
>リンク:九州国立博物館蔵「油滴天目 G16」
・徳川美術館蔵。尾張徳川家で「星建盞」と称された油滴天目
>リンク:徳川美術館「油滴天目 星建盞」
油滴天目は国宝や重要文化財となっているものが多くございます。
斑紋自体は小さく細かいものが無数に散らばり、綺麗に光り輝き、曜変天目のような幽玄なものではなく、一目ににわかる美しい茶碗です。
曜変天目(ようへんてんもく)
碗の内側に釉薬が破裂したことでできる斑紋(星文)があり、その周りを群青や紫などの光の角度によって色が変化する光彩があります。
釉薬が焼成中に変化する「窯変」という言葉が由来で、模様がまるで宇宙に舞い散る星のように煌びやかなであったことから、「曜」という輝きの意味を持つ言葉を当てて「曜変」という呼ぶようになりました。
現在の中国でも「曜変(曜変盞)」と呼ばれるが、油滴同様この言葉は日本から逆輸入された言葉で、当時の宋の時代では鷓鴣斑(しゃこはん)の一部とされていました。「異毫盞(いごうさん)」とも呼ばれていました。
曜変天目は世界中にも3碗だけあり、その全てが日本所有の国宝となっていますが、実はもう一碗あったのではとも言われています。
そしてそれは織田信長が所持していたものと考えられています。
室町時代から最高の評価がされており、全てが名だたるところから伝来しており、織田信長に渡っていてもおかしくないのです。
曜変天目の特徴は上記に挙げた通りですが、見ていただくとわかるように、3碗とも同じ種類とは思えないほど特徴的です。
似ているとも似ていないと言えるものとなっています。
中国では「異毫盞」と呼ばれていたこともあるように、他の天目茶碗の特徴と明らかに”異なる”ものとしての分類だったことがわかります。
主な曜変天目の紹介
・静嘉堂文庫美術館蔵。青、薄紅、白色と変わる釉景色が美しい。一番有名な曜変天目「稲葉天目」
>リンク:静嘉堂文庫美術館「国宝 曜変天目」
・藤田美術館蔵。オーロラにように美しい縞模様の光彩とその中の斑紋
>リンク:藤田美術館「曜変天目茶碗」
・大徳寺龍光院所蔵。3碗の中で見ることが最も難しい大徳寺龍光院所蔵の曜変天目
※博物館ではないため公式リンクではなく、googleの画像検索になります。
>リンク:goole画像検索「大徳寺龍光院 曜変天目」
中国・宋の時代での分類の仕方、日本との違い
日本では禾目・油滴・曜変天目と分類をいたしますが、宋の時代では違う分類の仕方をしていました。
窯変現象による模様の出方により、兎毫紋、鷓鴣斑、毫変に分類していたとされています。
兎毫紋(とごうもん)
この模様の入った茶碗を、兎毫盞(とごうさん)または兎毫碗(とごうわん)と呼びます。
これは日本でいう禾目天目そのものであり、兎毫盞=禾目天目と思っていただいて構いません。
その特徴も全くおなじで、釉薬中の結晶が焼成時に流下しすることで縦筋が入り、細い線条の模様が浮かび上がります。
その模様が兎のしなやかな細い毛のようなことから兎毫盞と呼ばれております。
銀色の光芒が流れているものは価値が高いとされていました。
鷓鴣斑(しゃこはん)
この模様が入った茶碗は鷓鴣斑碗(しゃこはんわん)と呼びます。
鷓鴣(しゃこ)とはキジ科の鳥のことで、福建省の鷓鴣は黒い体に白く丸い大きな斑点がたくさんあり、それに似た丸い斑紋があるものをそう呼ぶようになりました。
この斑紋は日本においては細かく名称がされるようになり、油滴天目や曜変天目と呼ばれるようになりました。
そして、その名称が知れ渡ることで、鷓鴣斑が中国でも細かく分類されることとなりました。
油滴天目は「類鷓鴣斑油滴」といい、曜変天目は「類鷓鴣斑曜変」といいます。
そしてもう一つ、「正点鷓鴣斑」というものが存在しますが、これは特殊で人為的に円形の模様を描いたものとされています。
毫変(ごうへん)
この模様が入った茶碗を毫変盞(ごうへんさん)と呼びます。
「その価は甚だ高く且つ得ることができない」と北宋の「茶録」に記されていた幻の陶磁器のことです。
その姿は誰も見たことがなく、正確にどのようなものようなのかはわかっていません。
”毫”と漢字がつくことから、毫毛状の模様であるとされるが、通常の兎毫盞(禾目天目)とは違うとされています。
曜変天目が言葉にした時の特徴は同じであっても、実際には見た目が全然違うように、毫変盞も様々な見た目のものがあってもおかしくありません。
毫変盞について詳しくは当サイトのこちらの記事をご覧ください。