毫変盞とは中国の建窯にて焼かれた天目茶碗で、北宋の「茶録」には「その価は甚だ高く且つ得ることができない」と記されていた幻の陶磁器のことです。
それぞの漢字の意味は
【毫=禾=芒(稲の穂先)】
【変=曜変】
【盞=茶碗】
となります。
目次
幻の陶器”毫変盞”とは
幻というのは大袈裟ではなく、毫変盞は現存しているものがなく、その存在は記述でしかありません。
禾目、油滴、曜変、毫変盞という順で価値が上がり、毫変盞は最高位になっております。
曜変天目にも色々なタイプがあり、君台観左右帳記の曜変天目の項目には、前段の曜変天目と後段の芒変天目、2つの性質を合わた芒曜天目の3種類があったと記されており、このうちの芒曜天目が毫変盞とも考えられます。
宋代建窯が閉じてから800年間の長い間、毫変盞はまったく触れられなかったのだが、1990年に中国の建窯遺跡調査団が発掘調査した研究を要約した、中国古陶磁研究会名誉会長の葉文程と福建省博物館の林忠幹によってその存在が証明され「建窯瓷」に発表されました。
中国の発掘にて数点の毫変盞らしき器が出土(建窯1号窯<大路後門山>出土、福建省博物館)しているが、これは釉薬を2度掛けし模様を人為的に絵付けされた毫変盞を模した、いわゆる偽物とされております。
本物の毫変盞は釉薬を1度だけ浸し掛けで施釉して焼いた「1度掛け」物であり、高度な焼成技術によってそれぞれに変化し、その中で美しい模様を描いていたため、その価値は遥かに違います。
さて、中国の宋の時代にこの世で最も美しいとされた「毫変盞」とはいったいどういうものなのでしょうか。
毫変盞の特徴
記述によるとその特徴は「満遍なく模様がある」とされており、これは茶碗の内側、外側の両面に模様があるという意味で、この特徴は、油滴天目や禾目天目と同じと考えられます。
国宝となっている3椀の曜変天目は模様が内側にだけ出ており、毫変盞の特徴とは違います。
そのため、毫変盞を曜変天目のくくりに含むのは少し違い、実際にはそれより高い価値のあるものと考えるのが妥当であると思われます。
南宋の祝穆(しゅくぼく)によって13世紀に編纂された「方輿勝覧(ほうよしょうらん)」によると「毫色の異なるものを”毫変盞”といって」ともあるように毫変盞は兎毫盞(とごうさん)の特別なものと考えられます。
この兎毫盞というものは日本では禾目天目と呼ばれている茶碗になります。
通常、禾目天目は線状紋であり釉薬が焼成の際に上から下に流れることで、黒釉に茶色や銀色の細かい縦筋が無数に入った茶碗のことです。
その模様が稲の穂先の芒(のぎ)に似ていることから、別の漢字の「禾」を当てて禾目天目と呼ぶようになりました。
しかし、毫変盞が禾目の天目に近いものであっても、禾目天目と模様や色の特徴が全く同じではただの禾目天目でしかありません。
そのため、毫変盞には特別な特徴があったはずです。
「錦の様な薬もあり(縦糸と横糸編んで作られた織物の様な釉薬もあり)」とあるように毫変盞は禾目天目にはない横にも流れた模様があるものと考えられます。
何を持って毫変盞と定義するのか
とはいえ、冒頭にも書いたように毫変盞はどこにも存在せず誰も見たことがありません。
そのため、このサイトの茶碗が毫変盞であるとは現在は断定できないのです。
しかし、普通の禾目天目ではありえない模様の出方をしており、この模様が吹き付けたり描いたりしたものではなく、自然に出たものだとしたらそれは奇跡的なありえない確率です。
曜変天目の模様には、曜変、芒変、芒曜全てに共通の規則性が見られ、掲載の茶碗の内側は静嘉堂の国宝の曜変と良く似た模様の配置となっております。
この特徴をなぞらえると当サイトに掲載のある茶碗は、内側外側の両面に模様があり、またただの禾目天目とは違い横や斜めに線状紋があり、そして曜変天目と同じ模様の配置をしているという、毫変盞の可能性を秘めた茶碗となっています。
結局のところ、毫変盞についてわかっているのは
・曜変天目よりさらに上の価値である「毫変盞」というものが存在していた
・それは「錦の様な薬もあり」という特別な禾目に近い天目であり、芒曜天目=毫変盞ではないか
というようなこと以上の情報が日本にはありません。
もしかしたら発掘調査を進めている中国であればこれ以上の情報があるのかもしれないので、待つばかりです。