曜変天目は全てが国宝なこともあり、その値段は圧倒的に高価であると言われています。
一説によると50億円とか300億円とか言われています。
さてその値段は根拠はどこから来たものなのだろうか。
これについて疑問に思い、いろいろと調べてみました。
目次
曜変天目「稲葉天目」が大正時代に16万8千円
3つある曜変天目のうち、一番有名である静嘉堂文庫の曜変天目(稲葉天目)は実は過去に売買された経緯があります。
曜変天目は伝世されている茶碗ですが、人から人へ差し上げた、プレゼントされただけでなく、売買により人から人へ伝わることももちろんあります。
この稲葉天目が売買されたのは大正7年で東京美術倶楽部にて売りに出され、稲葉家から小野哲郎氏に譲渡され、価格は16万8千円と記録がございます。
大正時代の1円を現代の価値に置き換えると約1万円とされるので、現代の価値に換算すると約16億8千万円となり、これは日本国内にて茶器、茶道具の中では最高額で売買されたとものと考えられています。
あれ、16億円?50億円じゃなかったの?と思ったのではないでしょうか。
実ははっきりと値段の記録があるのはこの時だけであり、50億円で売買がされたという事実はないのです。
では何故50億円だなんて噂されているのでしょうか。
それは「当時より曜変天目そのものの価値が上がっている」ということが理由とされます。
大正7年は西暦では1918年であり、この記事執筆時点で、当時より100年間経っています。
基本的に古美術品は保存状態が良ければ時間が経っているほど価値が上がります。
そして大きく変わったのはやはり「国宝となった」ことです。
この16億円で売買された当時は国宝とされていませんでした。
この曜変天目は昭和16年(1941年)7月3日に旧国宝(重要文化財指定)され、その後昭和26年(1951年)6月9日に国宝に指定されます。
国宝とはその名の通り「国の宝」であり、詳しく知らない人でもそれがとても価値のあるものとわかるでしょう。
しかも工芸品の中で国宝として指定されているものはそのほとんどが刀剣類であり、茶碗などの陶磁器については比較的少なく、更に価値を高めています。
言い方に少し品がないかもしれないが、国宝となり美術品としての価値がさらに上がることで、展覧会やメディアなど、それ自体がお金を産み出すようになるのです。
お金を生み出すものが金銭的価値がないわけがありません。
こう言った点から、当時よりも曜変天目そのものの価値が上がっていると考え、今売りに出したら50億円は下らないのではないかとされているわけです。
上記のように価値が上がったとしたら3倍くらいの値段になるのではと予想されているのも納得ができます。
これまで値段のついた高い値段の天目茶碗と比較してみる
50億円以上と予想されているとはいえ、曜変天目が何十億円かの価値がつくのは間違いありません。
過去にNYクリーティーズオークションに出された油滴天目茶碗が12億円で落札されています。
これは個人コレクターから出品されていますが、黒田家・安宅家伝来のもので来歴に信用性があり、クオリティも高く、1935年には「旧重要美術品」指定されたものでした。
落札予想価格は1億5千万円程度だったようですが、予想を大きく上回る12億円での落札となりました。
それと比べてみると、「国宝」であり、伝来も確かであり、油滴天目より数少なく価値の高い「曜変天目」はこれ以上の価値がつくことは当たり前で、同等どころか何ランクも上の価値となることは明らかなのです。
2倍程度でなく、3倍、4倍の価値と考えるのもわかります。
しかも中国に1点も存在しないことを考えると、中国に一つでも完全なものを所持しておきたいという中国の富裕層がお金に糸目をつけないことは大いにありえ、もしかしたら100億円以上も行くかもしれません。
とはいえ、曜変天目を所持している3者とも国宝という価値はお金には替え難く、曜変天目を売りに出すことはまずないでしょう。
300億円でも売ることはないと思います。
天目茶碗を売ったらいくらになる?
上記の黒田家伝来の油滴天目以外に、過去にはオークションのサザビーズでも油滴天目茶碗が出品され、それは1億5千万円で落札されたとあります。
これは黒田家伝来のものよりも劣るとされていますが、感覚が麻痺しているだけで一つの茶碗に1億5千万円はとんでもない価格です。
状態が良く、宋の時代の確かなものと鑑定された状態で油滴天目クラスならそのぐらいの価値が付くと考えられます。
本物だったのか偽物だったのかはさておき、過去にはなんでも鑑定団で曜変天目とされるものが2500万円ということもありました。
伝来がしっかりとしていないのは致し方ないとはいえ、これがしっかりと鑑定され本物であったとしたら2500万円は安すぎるように思います。
しかし、あの場で出せる結論として、曜変天目であるかはさておいて宋の時代の少し珍しい天目としたらは妥当な金額とも思います。
多く残っているとされる禾目天目でも、模様の入り方などのクオリティが高く、状態がよければ数千万円の値段がついてもおかしくありません。
このサイトの毫変盞はいくらになるのだろうか?
このサイトの曜変天目茶碗がこの世で誰も見たことない「毫変盞(ごうへんさん)」とした場合、それはいくらになるのだろうか。
このサイトの天目茶碗は状態から伝世ものであるものの、来歴ははっきりとしていません。
この茶碗が毫変盞である理由を示すのは、科学的な分析、文献との検証によるものです。
オークションで高値がついたことの理由が黒田家伝来の来歴であるとしたら、もしかしたら大きな価値はつかないかもしれません。
しかし、それは油滴天目や禾目天目だった場合の話。
これが誰も見たことない毫変盞なので、また価値のつけ方が変わってきます。
日本はおろか中国にも1つもないものと認められるのであれば曜変天目を凌ぐ価値がつく可能性が大いにあるのです。
よろしければ当サイトの曜変天目もこちらからご覧ください。